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「生きる」が上手くなることについて

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真面目に「生きる」をしてました。

仕事をする。
空気を読む。
人に合わせる。
愛想よくする。
つまらなくても笑う。
付き合いも大切にする。

嫌なことがあっても我慢する。

「大人なんだから」
「社会人なんだから」
「これくらい普通」

そう思って、ひとつひとつ受け入れてきました。

世渡り上手に、器用に立ち回る人もいる。

自分も、そうなろうとした。

本音を隠して、その場に合わせる。

見えない空気を読む。

波風を立てない。

そうやって、うまく「生きる」。

それが、社会で生きていくことなんだと思っていました。

だから、真面目に「生きる」をしてました。

でも、だんだん苦しくなった。

最初は小さな違和感でした。

「なぜ、つまらないのに笑っているんだろう」

「なぜ、本当は嫌なのに付き合っているんだろう」

「なぜ、言葉にされていない空気まで読まなければならないんだろう」

ひとつひとつは小さなこと。

だから我慢できた。

でも、積み重なっていく。

そして、だんだん息苦しくなった。

それでも、周りから見れば普通だったと思う。

仕事をしている。

笑っている。

人付き合いもしている。

ちゃんと「生きている」。

でも、自分の中には虚しさが残った。

そんな頃、友達から言われたことがあります。

「なんか普通になったね。」

その言葉を聞いて、少し考えた。

普通って、なんだろう。

大人になったということなのか。

社会に馴染んだということなのか。

それとも、昔の自分にあった何かを、少しずつ失ったということなのか。

もちろん、友達はそんな深い意味で言ったわけではないと思う。

でも、その言葉がなぜか残った。

昔の自分には、もっと好きなことがあった。

楽しいと思えることがあった。

何かに熱中して、夢中になっていた。

熱くなっていた。

そして、

「やったぞ」

と、コブシを握る瞬間があった。

あの頃の自分は、今よりずっと不器用だったかもしれない。

でも、ちゃんと「生きていた」。

そう思う。

誰かを思いやるための空気ならいい。

弱い立場の人に寄り添うためならいい。

困っている人を助けるためならいい。

でも、嫌われないため。

波風を立てないため。

みんなと同じでいるため。

そんな見えない空気に合わせることだけが、「生きる」ではないはずだ。

器用に生きられなくてもいい。

世渡り上手じゃなくてもいい。

好きなことを好きだと思う。

楽しいことを楽しむ。

夢中になれるものに熱くなる。

「やったぞ」と、コブシを握る。

そんな「生きる」を、これからもやっていきたい。

そして、忘れずにいたい。

「普通になったね」と言われた、あの頃の自分も。

その言葉に少し引っかかった自分も。

きっと、何かを感じていたのだと思う。

だから、変わらずにいたい。

周りに合わせるために、自分まで変えてしまわないように。

また、好きなことに夢中になれるように。

また、心から「やったぞ」とコブシを握れるように。

そんな「生きる」を、

これからも。 


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