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刑事裁判を傍聴して考えた「魔が差す」と「自分を大切に生きること」

コラム
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高等裁判所で刑事裁判を傍聴しました。

窃盗事件や薬物関連事件の話を実際に法廷で聞いて、私は事件そのものだけではなく、「人はなぜ過ちを犯すのか」ということを考えるようになりました。

そして最後には、自分自身の生き方についても考えさせられました。

「なぜ、こんなことをしたのか」

裁判では、被告人に対して、

「なぜ、こんなことをしたのか」

という趣旨の質問がありました。

さらに、

「反省しているのか」

「被害者についてどう思っているのか」

「被害をどう返済していくのか」

といったことについても確認されていました。

家族が知ったら、がっかりするとは考えなかったのか。

そんな趣旨の質問もありました。

話を聞いていると、私は「どうして、やる前に考えられなかったのだろう」と思いました。

やった後になって後悔する。

でも、本当なら、その前に考えることができたのではないか。

被害者はどうなるのか。

家族はどう思うのか。

自分自身の人生はどうなるのか。

そこまで想像できていたら、最初からやらなかったのではないか。

そんなことを考えました。

最後に被告人が話したこと

裁判の最後、被告人が話す場面がありました。

話す前には、法廷に沈黙がありました。

その後、反省していることや、これからはお金を盗らずに働いてお金を貯め、交友費に使いたいという趣旨の話をしていました。

私は、その言葉を聞いて複雑な気持ちになりました。

正直に言うと、どこか取ってつけたような反省に聞こえました。

「反省しています」

という言葉はあっても、具体的に何を反省し、これからどう変わっていくのかという部分が、私にはあまり伝わってきませんでした。

思いついたことをその場で話しているようにも感じました。

内容が幼く、浅い。

言葉としては話しているけれど、中身が十分に感じられない。

私はそんな印象を受けました。

もちろん、本当に反省しているかどうかは本人にしか分かりません。

私は裁判の一場面を聞いただけです。

だから、「反省していない」と断定することはできません。

それでも、聞いていた私は、

「本当にこの人は、これから変わるのだろうか」

「また同じことをしてしまうことはないのだろうか」

と考えてしまいました。

人の心には「スキマ」ができる

そこで私が思い浮かべたのが、「魔が差す」という言葉でした。

人はいつも強い心でいられるわけではありません。

寂しさ。

孤独。

ストレス。

焦り。

欲望。

そうしたものが重なって、心にスキマができることがあります。

そこに誘惑が入り込む。

「今回だけなら」

「少しくらいなら」

そんな一瞬の気持ちが、間違った方向へ進むきっかけになることがあるのかもしれません。

いわゆる「魔が差す」ということです。

もちろん、魔が差したからといって、犯罪が許されるわけではありません。

過ちには、その結果と向き合う必要があります。

ただ、裁判を傍聴したことで、私は「人は弱い部分を持っている」ということを改めて感じました。

一瞬の判断でも、その後の人生は続いていく

今回の裁判で強く感じたのは、

判決が出ても、人生は続く。

ということです。

事件を起こした瞬間は一瞬でも、その影響はその後も続きます。

被害者にも人生があります。

家族にも人生があります。

そして、被告人にも判決後の人生があります。

だからこそ、「そのとき何をしたのか」だけではなく、「その後どう生きるのか」も大切なのだと思いました。

過去を変えることはできません。

でも、その後の行動は変えられる。

私はそんなことを考えました。

だからこそ、自分を大切に生きたい

今回の裁判を傍聴して、最終的に自分自身の生き方について考えることになりました。

私は40代になってから、

「このままでいいのだろうか」

と考えることが増えました。

会社の意見。

周囲の意見。

世の中の風潮。

それまでの私は、そうしたものを気にして、自分の気持ちを後回しにすることもありました。

でも、自分の人生を生きるのは自分です。

だから、

自分を愛すること。

自分が幸せになるために生きること。

これを大切にしたいと思っています。

誰かに認めてもらうためだけに生きるのではなく、

「自分はどうしたいのか」

「どんな人生なら、自分は幸せなのか」

を考える。

そして、そのために自分なりにベストを尽くす。

そんな生き方をしていれば、人生の大きな選択をするときにも、自分を見失いにくいのではないかと思います。

人の意見ではなく、自分の人生を考える

もちろん、周囲の意見をすべて無視すればいいということではありません。

家族の意見も大切です。

会社の意見を聞くことも必要です。

社会のルールを守ることも当然です。

そのうえで、最後に自分の人生をどうするのかを考える。

私はそれが「自分を大切にする」ということなのだと思うようになりました。

裁判を傍聴したことは、私にとって単なる見学ではありませんでした。

人の過ちを目の前で考えることで、逆に、自分はこれからどう生きたいのかを考えるきっかけになったのです。

まとめ|人生は、自分の選択の積み重ね

刑事裁判を傍聴して、

「なぜ、こんなことをしたのか」

「なぜ、やる前に考えられなかったのか」

「本当に反省しているのか」

と、いろいろなことを考えました。

そして最後に行き着いたのは、自分自身の人生についてでした。

人は弱くなることがあります。

心にスキマができることもあります。

「魔が差す」こともあるのかもしれません。

だからこそ、自分の心を大切にする。

自分の人生を、自分で考える。

そして、自分が幸せになるために生きる。

今回の裁判傍聴は、私にとってそんなことを考えるきっかけになりました。

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